テーマ:宮原線

報告書に追われる!!

今年の6月に行った、熊本県小国町にある旧国鉄宮原線跡地に現存する、幸野川橋梁での竹筋調査の報告書を書いています。 とういうか、期限が~~~すでに過ぎています。が~~!。 現在、ラストスパート中です。 で、報告書を書いている途中、インターネットで松浦鉄道を見ていました。 すると、2004年度と2006年度に調査をした、福井…
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竹筋関係 古本 #5 あった! 

昨日、古本の図面に30kgレールがアーチ部分に入っていることを書きました。 そこで、よくよく、施工中の写真を見てみると・・・ あった! この写真はアーチ中央部の工区のコンクリート打込み中の写真です。 丸をつけている左側には、工区境の型枠からレールが飛び出しています。 また、右側ではレールを型枠の上において、…
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竹筋関係 古本 #4 鉄骨入り??

古本を見ていたら、幸野川橋梁とおなじ図面があった。 径間20mのコンクリートアーチ橋である。 見えるだろうか?? 橋脚の上のレールについては、工事記録および工事写真で確認していました。 しかし、アーチ部分のコンクリートを打ち継いだ部分にも、レールを入れているではないか。 これは本当かな??? 幸野川橋梁に…
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竹筋関係 古本 #3 工事期間

旧国鉄宮原線の工事期間については、小国町で発行されていた小国新報と熊本県が調べたものでしかなかった。 小国新報では着工のセレモニーなどのみ、熊本県の資料は●年頃と記されていた。 今回、この古本に、工事期間が記されていた。 廣平、堀田、汐井川、堂山、北里までは、S11(1936)年12月に着工、S13(1938)年10月完成とな…
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竹筋関係 古本 #1

古本 手に入れました! その名も、 時局化における土木工事の施工法に関する講演会講演集 発行は、土木協会 その日付は、昭和16(1941)年5月 中身はというと、1940年5月13日から20日まで内務省土木試験所において行われた講演内容をまとめたものです。 この中に、 「竹筋コンクリートの強度…
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熊本県小国町 #11 北里柴三郎

今日はもうひとつ。 本日、6月13日は、北里柴三郎博士の命日です。 なぜ、北里柴三郎か。 それは、小国町の出身であり、僕らが調査の際にお世話になっている、木魂館のすぐふもとに生家があります。 先日の日曜には、小国町の小学生が北里柴三郎のことを学習し、木魂館のホールで発表会をしていました。 各々が書いた作文を大きな声…
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熊本県小国町 #10 竹筋橋(幸野川橋梁)#4

本日の、熊本日日新聞、朝刊の3面記事にこのニュースが掲載されました。 書いているこの時間では、くまにちコムのメイン画像として幸野川橋梁の写真が出ています。 しかし、会員にならないと文が読めないようになっているので、リンクは張りません。 さて、落ちとは・・・ 実は竹以外にも、鉄を見つけてしまったんです。 それも2本も! …
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熊本県小国町 #9 竹筋橋(幸野川橋梁)#3

コアの側面に竹が確認できないかと、電磁波レーダーの画像を頼りに場所をきめ、抜いてゆきました。 しかし、電磁波レーダーで探査した画像は、コンクリートを打ち重ねた部分の空隙を線状に示すことがわかり、あまり参考になりませんでした。 逆に言うと、コンクリートの打込み欠陥が非破壊でわかるということは、今後の研究になりそうです。 非破壊画像と…
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熊本県小国町 #8 竹筋橋(幸野川橋梁)#2

まずは、内側から橋の実測、コンクリート表面の状況確認を行いました。 昭和初期の径間20mの無筋コンクリートアーチ橋の標準図とその寸法はほぼ同じでした。 しかし、細部は微妙に異なっていて、アーチ頂部は薄く、根元は厚くなっていました。 また、透かし窓のようになっている「オープンスパンドレル」の上部には、施工写真で確認されていた鉄骨…
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熊本県小国町 #7 竹筋橋(幸野川橋梁)#1

調査をはじめて4年目に突入。 2年前のコア抜き調査では、小さな竹の破片のみで、大きくがっくり・・・。 しかし、きっと竹はある!と信じていた。 今回、新たに、橋の内側の土砂を除去して、コア抜き調査を行いました。 橋の内側の土砂を除去した状況です。 これから、調査スタート! さて、さて・・・竹は・・・
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熊本県小国町 #6 木魂館 #3

前回、小国町の温泉で、岳の湯を紹介しました。 今回は、木魂館にある博士の湯です。 博士とは、小国町出身の偉人 北里柴三郎 先生 にちなんでつけられています。 当然温泉です。 しかし、かけ流しではなく、循環式の沸かし湯です。 それでも気持ちいいですよ。 小国での散策の後に、張った足を休めるには最高で…
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熊本県小国町 #4 木魂館 #1

小国町での調査で、毎回お世話になっている、木魂館です。 木造トラスに特徴のある外観です。 1階には講演会ができるホールと売店、事務所があり、裏の別棟に研修室があります。 また、2階には畳の引いてある大きな部屋もあります。 2年前の調査の時には、途中で、その大部屋に泊まりました。 すご~~く大きな部屋に、4人で泊まっ…
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熊本県小国町 #3 ササク蔵ブ #2

これが、蔵から見える川です。 夜寝るときは、ずっと絶え間ない川の音が聞こえています。 その中で、寝ながらいろんなことを考えることがとても好きです。 川の音は、なんだかいろんな考えをまとめることができる効果でもあるのでしょうか。
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熊本県小国町 #1 旧国鉄宮原線肥後小国駅 

先週まで九州を書いておきながら、5月初旬にまた九州へ行ってきました。 今度は仕事ですが。 またもや、小国町でお世話になり、その後、リレーツバメにのって、大牟田市の有明高専に行ってから、福岡空港から帰ってきました。 しばらく小国でのことを。 写真は、旧国鉄宮原線の肥後小国駅あとです。 現在は、道の駅ゆうステー…
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森本組につづき・・・松本建設も

熊本県小国町の旧国鉄宮原線の建設に携わったと思われる建設会社がまた倒産した。 倒産とは正しくないが、整理されてしまうときに昔の資料は捨てられ、当然旧体制からの歴史を知る人たちはさり、過去を探る手段がなくなってしまう。 すでに森本組は民事再生によって、そして、今日、松本建設も整理されてしまった。 松本建設は重要な区間を施…
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飛島文吉と槇雄治≒宗谷線と宮原線

飛島文吉とは、苗字の通り、現在の飛島建設の創立者です。 このブログでよく参照している、日本鉄道請負業史に今日紹介する記事があり、 赤い糸を感じました。 (この言葉は北海道教育大学生涯学習教育研究センターの今助教授から、先日おこなわれた土木史研究発表会で言われました。なんだか実感したので引用しました。) 宗谷線下第3工…
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土木学会土木史研究発表会、終わりました

先日、7/7に、栃木県足利工業大学で、 土木学会の土木史研究発表会がありました。 私は、初日の朝一番目の発表でしたが、会場には多くの方がお見えになっていました。 発表したのは、 やっぱり 竹筋? 旧国鉄宮原線に現存するコンクリートアーチ橋に関する調査 です。 概要は、2004年、2005年とおこな…
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宮原線だれが作った?第2弾!(その3)

宮原線誰が作った?第2弾も最後です。 まず、宮原線は2回に分けて開業しています。 最初は、恵良~宝泉寺間7.3kmの営業を、1937(S12)年6/27に開始しています。 その後、いったんレール枕木をはずされ、1943(S18)年に営業中止になります。 再度、レールを敷設し、1948(S23)年4/1に復活します。 宝泉寺…
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宮原線だれが作った?第2弾!(その2)

今回は、地元新聞の「小国新報」の内容を紹介します。 小国新報は戦時中に廃刊となっていますので、宮原線の全線開通までは報道されていません。 ・第1期工事 森本組 恵良~宝泉寺間 0~7.3km (312千円) ・第1工区 間組 区間不明 (不明) ・第2工区 奥村組 区間不明 (不明) ・第3工区 松本組 麻生釣~菅迫 15.2…
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宮原線だれが作った?第2弾!(その1)

以前に宮原線を建設した会社を書いて見ましたが、 論文を書くのに、もう一度良く調べてみました。 するといろいろ、矛盾した点が出てきました。 現時点まででわかった点を数回に分けて、紹介します。 まず、以前に紹介した、文献は 日本鉄道建設業協会:日本鉄道請負業史、大正・昭和(前期)篇、pp.626-627、1978.3 これに…
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九州の中の宮原線の位置付け

先日古本屋で、 鉄道100年記念 九州の鉄道の歩み という本を買いました。 当然、調査中の宮原線、松浦鉄道、高千穂鉄道のことが何か載ってないかと思っていたのです。 特に、先日までまとめていた論文中で施工者についてが今一番の関心です。 しかし、100年記念にしては、宮原線のことが全く書いていない! 特にひど~いと思ったのは、「…
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小国町へ

本日、九州から、東京へ帰ってきました。 松浦鉄道では、竹が発見できず、正直、ずいぶん、とっても、めちゃくちゃ、バリ、落ち込みました。 傷心ツアーとして、小国町へ2/9(木)から行き、2/10は疑惑の高千穂鉄道へ行ってきました。 しばらくは、この視察関係について、紹介します。 今日のところは、いつもお世話になっている、木魂館(…
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幸野川橋梁の工事中の写真

佐世保の福井川橋梁などは、まだ工事中の写真などが見つかっていません。 当時の写真をお持ちの方があれば、是非、提供をお願いします。 で、今回は、小国町の幸野川橋梁の施工中の写真を公開します。 これは、旧国鉄宮原線跡地活用検討委員会の活動の中で、熊本市に在住の方から提供を受けたものです。 松浦鉄道もこのような写真があれば当時の状…
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宮原線のレールはどこへ?

宮原線は敷設したレール・枕木は剥がされて、どこに行ったのでしょうか。 地元では、「長崎へもって行った」、「溶かして鉄にしたのではなく、線路にそのまま使用した」ということが、小国町の町史にあります。 この時期に敷設、建設された鉄道で、長崎県・・・ そう! 旧国鉄松浦線、現松浦鉄道です。 それも、相浦~真申間、または、潜竜…
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この橋誰が作った?(宮原線)

宮原線(みやのはるせん)は、誰が作った?です。 社団法人日本鉄道建設業協会、「日本鉄道請負業史 大正・昭和(前期)篇」によると、 宮原線は、久大本線の恵良駅から南下して、大分、熊本の県境を越えて、小国盆地のほぼ中央の肥後小国駅に至る26.64kmの鉄道です。 この鉄道は、「大分県玖珠郡森町付近から熊本県阿蘇郡宮原を経て、熊…
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幸野川橋梁と福井川橋梁が同じ訳

写真を見て、幸野川橋梁と福井川橋梁の形状が同じなことに気が付かれたと思います。 現在でも土木構造物では、「標準設計図」というものが存在します。 例えば、擁壁などで、「段差高さ2m」のものなどです。 ここに紹介した図面は、1929年(昭和4年)に鉄道省(国鉄の前身)で作成された、無筋コンクリート(鉄筋などが入っていないコンク…
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幸野川橋梁(こうのがわきょうりょう)

熊本県小国町の橋梁群で最後に紹介する橋は、幸野川橋梁(こうのがわきょうりょう)です。 幸野川橋梁は、1939年(昭和14年)に完成しました。 今までの橋梁群とは、その規模は全く違います。 橋の長さは112m、アーチの内径は20mのものが4つ、10mのものが2つあります。 付近の田園風景でその風格が際だっています。 この橋に…
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北里橋梁(きたざたきょうりょう)

前回は、佐世保市の松浦鉄道を紹介しましたが、予定通り、小国町の橋梁群を紹介します。 北里橋梁(きたざときょうりょう)は、1938年(昭和13)年に完成しています。 橋の長さは58m、アーチの内径は10mで、アーチが5つ連続しています。 北里という名のとおり、旧国鉄宮原線の誘致運動にも加わったといわれる、北里柴三郎(医学博士…
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