テーマ:廃線

北海道 士幌線 その4 廃線跡の今

僕らが見に行った時の天候は、土砂降り・・・ 今回は近くまで下りてなど、あまり出来ていません。 そこで、視点を変えて・・・言い訳・・・ これは、廃線あとの今です。 両側から木の枝が張り出し、自然のトンネルのように、 下は、以前のバラスでしょうが、ところどころ土も見えて、低い草(ふき?)が生い茂っています。 その幅な…
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飛島建設の飛島文吉

乗りかかった(書きかかった?)船で、飛島建設の創設者の飛島文吉についてです。 文吉は、明治9年に福井市の石工、文次郎の長男として生まれ、13歳で当時の尋常高等小学校を1年でやめて、父の下で石工となり、常に「2人前働く」ことを信条としていたようです。その後父が請負業を始めたのでその手伝いをします。 明治年間の福井飛島組は、地方…
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飛島文吉と槇雄治≒宗谷線と宮原線

飛島文吉とは、苗字の通り、現在の飛島建設の創立者です。 このブログでよく参照している、日本鉄道請負業史に今日紹介する記事があり、 赤い糸を感じました。 (この言葉は北海道教育大学生涯学習教育研究センターの今助教授から、先日おこなわれた土木史研究発表会で言われました。なんだか実感したので引用しました。) 宗谷線下第3工…
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北海道 士幌線 その3 タウシュベツ川橋梁

僕らが見に行ったのは、6/16である。 沈んでいるのは、6/初旬のNPOひがし大雪アーチ橋友の会のHPをみてわかっていたものの、すでに宿も取っており、他のアーチ橋を見るべく、糠平湖温泉へ到着。 地元の人も、 「今年は今までになくあっという間に沈んでしまった。」 「昨年は雪は多かった」、「春先によく雨が降った」 といわれ、 …
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北海道 越川橋梁 その5(場所)

最後に、旧国鉄根北線の越川橋梁の位置を紹介します。 知床斜里の駅から、国道244号線を標津方面へ行くと、越川を橋でわたってすぐの部分にあります。 車を寄せるスペースもあります。
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北海道 労務賃金

今回は、労務賃金についてです 大正から昭和初期の作業の多くは人海戦術であったが、奨励歩合金がついたので非常に能率を上げたようです。 普通1日に10回くらいの仕事の場合、10回までは普通の単価で、11回から15回までは3割増し、16回から20回までは5割増し、21回から25回までは倍増しというように、3倍まで単価を歩合で増してゆき…
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北海道 たこ部屋規制

たこ部屋の規制について 北海道庁警察部でもたこ部屋の虐待が新聞紙上で報道され、社会問題になるにつれて、 大正8年5月に労役者募集取締り規則、労役使用取締規則をつくり、募集制度の規制、部屋幹部の土工夫虐待防止を図ったが効果なし。 大正14年3月には内務省令として労働者募集取締令を施工、昭和2年1月には営利職業紹介事業取締規則…
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北海道 強制労働の実態

強制労働と聞くと、網走監獄の囚人が北海道の開拓に従事し、過酷さのため死者が出たほどです。 強制労働の労務者が寝泊りする場所を、たこ部屋や監獄部屋といいました。 北海道の風土気候が激烈で、労働は苦しく、飯場の施設は不備であり、一方労働者が不足しているという環境の中、監視で自由がなく、逃亡防止のため部屋から施錠をしていました。 ま…
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北海道 越川橋梁 その4(人身御供)

この橋が有名(一部のマニアにか?)なのは、 1)強制労働による建設→人身御供 2)竹筋コンクリート です。 この件は、 森口誠之著、鉄道未成線を歩く 国鉄編、JTBキャンブックス、pp.20~24、2002.6/1 に記述されていました。 以下、根北線の建設背景と、強制労働、竹筋に関する記述を抜粋します。 …
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北海道 越川橋梁 その3

いつもだと、この辺で、「誰が作った?」に入るところなんですが・・・ ない・・・記録が・・・ 「日本鉄道請負業史」によると、根北線の節がありません。 「国鉄百年史」をみると、新たな事実が! 昨日のブログでは、根北線の営業期間は、 1957(昭和32)年11月10日~1970(昭和45)年11月30日と紹介しました…
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北海道 越川橋梁 その2

根北線は、根室から北見の連絡線として、1922(大正11)年の鉄道敷設法により、 「根室国厚床付近ヨリ標津ヲ経テ北見国斜里ニ至ル鉄道」として具体化しました。 着工は1938(昭和13)年で、斜里~標津間56kmを結ぶ新線は、斜里側から工事が進みました。1940(昭和15)年11月には越川まで完成しますが、 直後、太平洋…
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北海道 越川橋梁 その1

先日、北海道へ調査に行きました。 軍艦島の途中ですが、今回から少し紹介します。 まずは、世界遺産にも登録された知床の近くにある、 旧国鉄、根北線(こんぽくせん)の越川橋梁(こしかわきょうりょう)です。 国道の拡幅のため、橋の途中の3スパン(橋脚が2つ、アーチが3つ分です)を解体されています。
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はじめてシリーズ第2弾!解答

さて、問題は、日本で始めての蒸気車は?でした。 1853(嘉永6)年7月に、長崎港に寄港したロシア艦パルラダ号の士官室で、模型機関車の運転が行われました。 これを見学していた佐賀藩士、中村奇輔が藩主閑叟公の名を受け、同僚2人と政策に取り組み、3年を経て、1855(安政2)年に蒸気車1両と貨車2両、燃料はアルコールを使用する模…
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宮原線だれが作った?第2弾!(その3)

宮原線誰が作った?第2弾も最後です。 まず、宮原線は2回に分けて開業しています。 最初は、恵良~宝泉寺間7.3kmの営業を、1937(S12)年6/27に開始しています。 その後、いったんレール枕木をはずされ、1943(S18)年に営業中止になります。 再度、レールを敷設し、1948(S23)年4/1に復活します。 宝泉寺…
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宮原線だれが作った?第2弾!(その2)

今回は、地元新聞の「小国新報」の内容を紹介します。 小国新報は戦時中に廃刊となっていますので、宮原線の全線開通までは報道されていません。 ・第1期工事 森本組 恵良~宝泉寺間 0~7.3km (312千円) ・第1工区 間組 区間不明 (不明) ・第2工区 奥村組 区間不明 (不明) ・第3工区 松本組 麻生釣~菅迫 15.2…
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宮原線だれが作った?第2弾!(その1)

以前に宮原線を建設した会社を書いて見ましたが、 論文を書くのに、もう一度良く調べてみました。 するといろいろ、矛盾した点が出てきました。 現時点まででわかった点を数回に分けて、紹介します。 まず、以前に紹介した、文献は 日本鉄道建設業協会:日本鉄道請負業史、大正・昭和(前期)篇、pp.626-627、1978.3 これに…
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九州で初めて踏切警笛機がついたのは?

論文の締切りに終われる毎日から少しだけ解放されました。 別のとこに書いていたんだけど、誰からの解答もないので、答えを発表します。 問題は、九州で初めて踏み切り警報機が設置されたのは、 何年?、どこ?でした。 答えは、 1924年(大正13年)3月に、門司(門司港)~大里(門司)間に、設置されました。 では、初めてシリ…
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桁の形式

最近こちらの更新が滞っていますが、サボっているのではなく、LivedoorのほうのBLOGを更新しています。 できればそちらのほうも見てみてください。 内容は、建築を中心にした、調査や試験・分析関係の紹介をします。 http://blog.livedoor.jp/brtc/?blog_id=1586094 興味のある方は、是非、…
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高千穂鉄道 廃線・・・

今回で高千穂鉄道に関するものはいったん終わりにします。 現在、高千穂鉄道は運転を停止しています。 社員の多くは退職となって今の状況では再会することもできないようです。 しかし、今、「走れトロッコ鉄道準備室」としてがんばっているようです。 準備室のHPのURLを掲載します。 http://www.torokko.jp/ …
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橋梁の設計荷重について NP荷重、EA荷重、M荷重

設計荷重については今回でおしまいになります。 NP荷重とは、1964年(昭和39年)に開業した、東海道新幹線の建設に当たって制定された新幹線用の荷重体系です。 N荷重は貨物電車、P荷重は旅客電車を想定しています。 車輌の長さは、N荷重は13.5m、P荷重は20mと、25mの車体ではありません。 なぜ貨物?と思いますよね。…
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橋梁の設計荷重について KS荷重

では、続きです。今回はKS荷重からです。 1928年(昭和3年)にメートル制へ移行します。 そのため、1928年(昭和3年)8/10付・達第158号で「鋼鉄道橋設計示方書」の改定が行われ、新たにKS荷重が定められます。 Kは機関車、Sは車輌を略したものといわれています。 K荷重はコンソリデーション型テンダー機関車の重連に…
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橋梁の設計荷重について 国有化以前の荷重、クーパー荷重

予告を忘れて、一回飛びました。すみません。 前々回の予告の設計荷重についてご紹介します。 橋梁の設計には、桁にのる最も重い車輌の重量に基づいて設計が行われます。 その際に、「標準活荷重」と呼ばれる仮想列車の荷重が用いられます。 この標準活荷重は年代によっていくつか種類があります。 これはその年代に使われている車輌によっても…
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高千穂鉄道 ここも!

今回は、川木流駅の近くにある第一五ヶ瀬川橋梁を紹介します。 高千穂鉄道のことを書き始めたころに、「竹筋」?疑惑の橋脚があった場所です。 ここの橋脚もやはりコンクリートの打継ぎ部分から折れるように倒れています。 この橋梁の少し上流に新しい道路橋があります。 ほとんど路面の高さは変わりません。 しかし、こちらのほうだけが、橋脚…
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高千穂鉄道 橋脚倒れる!3

またまたひきつづき、第二五ヶ瀬川橋梁です。 橋脚が倒れ、落ちた鉄製の桁に銘板が確認できました。 見難いと思いますが、 鉄道省 活荷重KS12 図面?222 川崎車輌株式会社 昭和十一年 (??) この下はペンキなどの塗装によってつぶれていて読めません。 次回は、活荷重KS12について紹介します。
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高千穂鉄道 橋脚倒れる!2

引き続き、第二五ヶ瀬川橋梁です。 倒れた橋脚は無筋コンクリートでした。(竹筋ではない!) 使用されているコンクリートの粗骨材は、40mmを超える川砂利が確認できます。 現在では砕石で20mm~25mmが主流です。 コンクリートを打ち継いだ部分から折れるように倒れています。 普通の水流ではコンクリートに引張力がかからないように設…
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高千穂鉄道 橋脚倒れる!

前回に引き続き、第二五ヶ瀬川橋梁です。 前回は鉄製の桁に注目していましたが、今回は桁がのっていた橋脚です。 上の写真は全景ですが、手前にもう1本橋脚がありました。 奥の2本の橋脚は立っていますが、手前の2本の橋脚が根元から折れています。 下の写真は折れた橋脚のアップです。 橋脚の脇に人が写っています。これで橋脚の大きさがわかる…
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高千穂鉄道 鉄製の桁が・・・

これは第二五ヶ瀬川橋梁の鉄製の桁です。 上の写真は橋脚が倒れたために、片側が落ちて川の流れによって少し流された状態で、レールがつながって垂れ下がっている状況がわかると思います。 下の写真は、中央部にかかっていただろうと思われる鉄製の桁が川に流されて、下流の川岸に乗り上げている状況です。 鉄製の桁がこんなに流されるとは・・・ あと…
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高千穂鉄道 アーチ橋つよし!?

また、高千穂鉄道の被害状況に戻ります。 写真は吾味駅の近くにあるコンクリートアーチ橋で、興地(くうち)橋梁です。 上は川側から見た状態で、何の変哲もない美しいコンクリートアーチ橋の姿を見せています。 しかし、下の写真はその裏側です。 裏は・・・ 転石や木材などが溜まり、アーチ橋を押し倒そうかというほどです。 自然の驚異を感じ…
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